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研究員コラム
研究員コラム「出よ!尖った統合報告書!」 - あなたの統合報告書、経営者の生の声が発信されていますか? - を発行しました。

筆者が資本市場に身を置いて40年以上の時が過ぎた。その間日本は、ジャパンアズナンバーワンの自信過剰の時代、それを受けてのバブル時代、そして崩壊、その後の失われた10年、否30年という時代を経て、株屋は投資銀行と呼ばれるようになり、24時間働けますか?の企業戦士はブラック企業のとんでもないパワハラ親父と呼ばれるようになった。働き者だった、或いはそのように海外から評価されていた日本人もそのお株は「弊社にはワークライフバランス等ありません」と宣言する企業まで出てくる米国西海岸シリコンバレーのIT企業に奪われる状況になった。日本の国民1人当たりGDPは、1996年にOECD加盟国38ヶ国中5位になるなど、1990年代前半から半ばにかけてG7で米国に次ぐ水準だったが、1990年代後半からの経済的停滞で伸び悩み、徐々に他の主要国に追い抜かれる推移をたどり2017年にはイタリアの後塵を拝しG7最下位となり、OECD加盟国で比較しても、2023年に26位と大きく欧米に劣後するようになった。
この間、証券会社の社員として海外の機関投資家に日本株を紹介したり、国内外の企業における資金調達のアレンジを行ったりしてきた。また、その後、現在の職場において日本企業の開示情報のアドバイスを行ってきた。そのような中で、多くの国内外企業の決算説明会や投資家説明会に参加する機会を得たが、いつの時代からか投資家との対応は細かくなった反面、日本経済の停滞に原因があるのか、経営者の生の声に焦点が当てられなくなったような気がする。
東京証券取引所の指導の賜物で、半期決算や期末決算の決算説明会を行う企業は今や当たり前となっているが、1980年代や1990年代は一部企業に限られていた。一部の投資家対応に興味のある企業の経営者を引き連れて証券会社の企業担当者、機関投資家営業担当者、そして当該産業担当アナリスト等のキャラバン隊を組成して海外機関投資家に大名行列が如く練り歩くのである。当時の企業による開示は英文の財務諸表がほとんどのアニュアルレポートと、証券会社が準備するアナリストレポートのみで、現在のような統合報告書は存在しなかった。しかし、こういったキャラバン隊に同行いただける企業の経営者は、通訳は介するが、結構丁々発止自分の口でその思いの丈を述べていたものである。そして、そういった弁舌さわやかな経営者の声に押されて、結構なボリュームの株の買い注文が日本に流れていたものである。また、これは本当に個人的な経験だが、東京の引受部隊で日本企業の海外における資金調達を担当していた際の1996年、地方にある超小型上場企業の社長から是非米国における資金調達を行いたい旨の依頼があった。この時、筆者本人もニッチな日本企業、それも国内オペレーションしか持たない企業が米国で興味を持たれることはないと高を括っていたが、意外にもこの社長の熱意が米国の小難しい機関投資家にも気に入られ適格機関投資家間の証券転売に登録届出書を不要とする「私募(ルール144A)」ではあったが株式による資金調達を成功させたこともあった。この時ほど企業経営者の生の声が重要だと感じたことはなかった。